すごい雑談

人生はアートだ

【遊び】とは何か?遊びを真面目に考察する。

遊びと聞いてどんなものをイメージをするだろうか?

軽い?不真面目?チャラい?

 

そんな「遊び」に関して考察しようと思う。

 

 

現代では遊びに行こうなどというと、ご飯や、カラオケとなる場合が多いが、それでは「本当の遊びたい欲求」は解消されない。

 

本当の遊びとは決してそんなチンケものではない。

 

 


僕が現段階で考える遊びはこう。

 

・誰も提供してくれない

・定義できない(人それぞれ違う)

・無駄で合理的でなく無目的

・生産性はない(遊びの結果誰かに影響を与える可能性はある)

・言語化できない楽しさ喜び

 


先日、「うわ!こいつら遊んでるな!」という現場に遭遇した。

それは、僕が空き地を借りて路上個展をしていた時のことだった。その隅っこの方で子ども達が数人集って何かをしている。

何をしているのか訊ねたら、

「工場」と彼女らは答えた。

 

石を削ってレンガを作っているのだとか。まあ、意味不明なのだけどそんなことは関係ないのだ。その子達にとってそこにリアリティーがあって、そこに喜びがある。

その「工場」は誰かに指示されてやったものでもなく、もちろんそれによってお金を貰えるわけでもない。

僕は久々に遊びに遭遇して嬉しくなった。

 

現代では大人の作ったゲームが無数に溢れていて、簡易的に遊ぶことは簡単である。しかしそこには誰かが作った枠がありその先にはいけない。

 

子どもが絵を書くのも砂遊びをするのも鬼ごっこをするのもそこに意味、目的など存在しない。

ただ絵が書きたくて、ただ砂で何かをつくりたくて、ただ走り回りたくて、ただその切実な欲求にしたがっているだけだ。

 

大人はどうだろう?

その切実な欲求だけで動けるだろうか?

 

 

 

大人になると遊びは誰かが提供してくれる。

大人になると無駄を嫌う。生産性のないものを嫌う。

意味がなければ何もできないヒトを大人と呼ぶ。

 

そうなるといのちは縮こまる。本当はもっと広がりたいのに。

 

その縮こまった結果が「鬱」であると思っている。

 

 

 

その「いのち」は本当の意味でイキタガッテイル。

 

 

 

合理性を求める限り本当の喜びと触れ合う機会はないだろう。

 

だから本当の意味で満たされることはない。

 

 

 

 


人生には目的もない。ただ与えられた、だだっ広い無駄をいかに遊び尽くし喜びに浸るか。

 

 

 

 

 

人類に、そして自分自身に言いたい。

 

 

 

 

生き返れ。

 

 

 

 

 

 

カヤノヒデアキ

ps・このブログもただの遊びである。


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